[読書記録]東京タワー

 「なんでも知ってるつもりでも、
  本当は知らないことがたーくさんあるんだよ。
  世界のフシギやいろんなキセキ。
  それは、おでんたちのしわざかもしれないのです。」

で始まるアニメ「おでんくん」。
原作はリリー・フランキーの絵本だ。
リリー・フランキーが本上まなみと話した際、
絵本「おでんくん」がアニメ化されたら、という話になった。
「え~アニメ化なんてされるわけないですよ。」
という本上にリリー・フランキーが、
「じゃあもしもアニメ化したら、声優として出演してくださいね。」
と言ったので、おでんくんの声の担当は本上まなみなのである。

リリー・フランキーの『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
の中にも冒頭のせりふと似た言葉が登場する。

 
 「みんな、何でも知ってるつもりでも、
  ほんとは知らないことがたくさんあるんだよ。
  世界の不思議や、いろんな奇蹟。
  僕達の知らないことはたくさんあるんだ。」

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アニメのほのぼのとした印象とは裏腹に、

小説の中ではこの言葉は切実な、重みを持った場面で登場する。
この「みんな、何でも知ってるつもりでも・・・」という言葉は、
僕は最初、「おでんくん」放映のために作られた言葉だと思っていた。
しかし、「東京タワー」を読んでいくうち、
きっと母親と過ごした時間の中で、
ある瞬間ふっと心の中に、
自然に生まれた言葉なのではないかと思うようになった。
切実な、祈りをこめた想いが、そこには詰まっている。

リリー・フランキーは、「祈る」ということについて「東京タワー」の中で書いている。

 人にとって「当たり前」のことが、
 自分にとっては「当たり前」ではなくなる。
 世の中の日常で繰り返される平凡な現象が、
 自分にとっては「奇蹟」に映る。

歌手や宇宙飛行士になることよりも、はるかに遠く感じるその奇蹟。

子どもの頃の夢に破れ、挫折することなんて大した問題じゃない。
 単なる職業に馳せた夢なんてものは、たいして美しい願いじゃない。

 でも、大人の願う夢。 叶っていいはずの、日常の中にある、慎ましい夢。
子どもの頃は平凡を毛嫌いしたが、平凡になりうるための大人の夢。
かつて当たり前だったことが、当たり前ではなくなった時。
平凡につまづいたとき。
人は手を合わせて、祈るのだろう。

僕は映画や本を見て泣いたことはほとんどない。
うるっと来ることはよくあるけど、

涙を流したりすることは、ほとんどない。

「お前の心は鉄で出来てるのか」と
ワンゲルのOやぶに言われたことがある。
しかし、「東京タワー」の終わり近くの、
オカンからボクに宛てての”ママンキーのひとり言”という手紙を、
涙なくして読むことは出来なかった。

この小説も、非常におすすめです。

この小説を読んだ時に、

簡単に言えば「人生経験足りないな」と強く思った。
ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里は、
「プレゼンテーションの技術なんて磨かなくていい」ということを書いていた。
凝った発表を用意している間にもっといい仕事ができるし、
ほんとうに「伝えたいこと」がある人は、
訥々とでも、それを相手に伝えることが出来る、と。

必ずしもこの意見に賛成ではないけれど、

「伝える技術」だけ磨いても、
誰かに本当に「伝えたいこと」を持っていない人は、悲しいと思う。
「東京タワー」を読んですごいなと思ったのは、
圧倒的な人生経験と、それを捉える豊かな感受性が文章から伝わって来る所だった。

こんな風な文章を書ける人になりたい、と思った。

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