頂上と裾野の違いは

石塚真一さんの『岳』(小学館)という素敵なマンガがある。

 

北アルプスの山の中に住む男、
島崎三歩が懸命に山岳救助を行う姿が描かれる。
 
素晴らしいのは、
「山に登る」ということと、
「日常を生きる」ということが重ねて描かれていることだ。
 
連載が行われたのは(18巻で完結)、
ビックコミックオリジナルだが、
連載時には副題が着いていて、
それは「岳ーみんなの山」だった。

http://csbs.shogakukan.co.jp/book/detail-volume?comic_id=437より

 
 
3巻で、かつて三歩がエベレストに登ったエピソードが紹介されている。
順調にパートナーと山頂を目指し、残り1時間で登頂というところまで来る。
 
しかし、そこで別パーティーの遭難者に出会ってしまう。
三歩は救助しようとするが、
パートナーは、遭難者を見捨てて前へ進もうとする。
”登頂”が目的の彼は、山頂にたどり着かなければ意味が無い、と考えている。
そんなパートナーに、チームリーダーからの無線が入る。
リーダーは、ベースキャンプでの三歩との間でこんな会話があったと話す。
 
「ずいぶんと楽しそうだな。登頂して来たやつみたいだ。」
「楽しいよお?。そりゃ、
 ここ(ベースキャンプ)だって、エベレストでしょ。
 頂上までぜーんぶエベレストじゃん。」
 
「ピーク・ハンター」という言葉がある。
頂上至上主義、とでも言おうか。
「頂上」というのは、意味付けのしやすい場所である。
特別な場所。
もちろん、山に登るものとして、目指すのが当たり前ではある。
 
けれども三歩は、「エベレストという山が、山頂にあるわけではない」と言う。
山頂は、山のほんの一部分であって、
裾野は、もっと広く深く、広がっていることを思い出させてくれる。
 
 
 
山に限った話ではない、と、
学生時代にこの部分を立ち読みしながら思ったものだ。
 
走ったり、文章を書いてみたり。
…日常の中で行う、些細なこと。
というか日常を生きることそれ自身。
それそのものは、とりたてて誰にために立つことができているわけではない。
 
それぞれの行いは、「頂上を目指す」ものではない。
でも、それでいいんだ。
裾野でも、山には違いないんだから。
いろんな人が、いろんなところで頑張っているのだ。
そう思うと、色んな事がふっと楽に感じられるように思えた。
 
 
学生の頃、登山サークルに入っていて、いくつかの山に登った。
少し慣れて来ると、最初の頃は見えなかった周りの景色が見えて来る。
登りながら、メンバーと会話が楽しめるようになる。
 
少し休憩しようか、と荷物をおろして、
ふと後ろを振り返ると、
ああ、こんなに登って来たんだ、と思うことが度々あった。
 
頂上頂上とおもわなくても、「登ること」自体に目を向けていると、
案外、気づけば高い所にいるということも、あるのではないかと思う。

コメント

  1. にっしー より:

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    blog読んでます!
    ついつい理想ばかり見てしまって、その差に嫌悪してしまったり。
    それでもコツコツやってると、意外と前に進んでいたり。
    そうやってちょっとずつ成長できてるのかな、と読んでて感じました。 Like

  2. ton2_net より:

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    >にっしー
    なんと!ありがとう!うれしいよ。
    いまは、ドイツかな。
    寒さが厳しいと思いますけど、体に気をつけて頑張って下さい。
    らせん階段みたいに、ぐるぐる回っているようで、少しずつ上に上がっている…んだと信じたい。笑
    お互い、色々がんばりましょう。
    日本へ帰って来たら教えてね。 Like