石塚真一さんの『岳』(小学館)という素敵なマンガがある。
北アルプスの山の中に住む男、
島崎三歩が懸命に山岳救助を行う姿が描かれる。
素晴らしいのは、
「山に登る」ということと、
「日常を生きる」ということが重ねて描かれていることだ。
連載が行われたのは(18巻で完結)、
ビックコミックオリジナルだが、
連載時には副題が着いていて、
それは「岳ーみんなの山」だった。
3巻で、かつて三歩がエベレストに登ったエピソードが紹介されている。
順調にパートナーと山頂を目指し、残り1時間で登頂というところまで来る。
しかし、そこで別パーティーの遭難者に出会ってしまう。
三歩は救助しようとするが、
パートナーは、遭難者を見捨てて前へ進もうとする。
”登頂”が目的の彼は、山頂にたどり着かなければ意味が無い、と考えている。
そんなパートナーに、チームリーダーからの無線が入る。
リーダーは、ベースキャンプでの三歩との間でこんな会話があったと話す。
「ずいぶんと楽しそうだな。登頂して来たやつみたいだ。」「楽しいよお?。そりゃ、ここ(ベースキャンプ)だって、エベレストでしょ。頂上までぜーんぶエベレストじゃん。」
「ピーク・ハンター」という言葉がある。
頂上至上主義、とでも言おうか。
「頂上」というのは、意味付けのしやすい場所である。
特別な場所。
もちろん、山に登るものとして、目指すのが当たり前ではある。
けれども三歩は、「エベレストという山が、山頂にあるわけではない」と言う。
山頂は、山のほんの一部分であって、
裾野は、もっと広く深く、広がっていることを思い出させてくれる。
山に限った話ではない、と、
学生時代にこの部分を立ち読みしながら思ったものだ。
走ったり、文章を書いてみたり。
…日常の中で行う、些細なこと。
というか日常を生きることそれ自身。
それそのものは、とりたてて誰にために立つことができているわけではない。
それぞれの行いは、「頂上を目指す」ものではない。
でも、それでいいんだ。
裾野でも、山には違いないんだから。
いろんな人が、いろんなところで頑張っているのだ。
そう思うと、色んな事がふっと楽に感じられるように思えた。
学生の頃、登山サークルに入っていて、いくつかの山に登った。
少し慣れて来ると、最初の頃は見えなかった周りの景色が見えて来る。
登りながら、メンバーと会話が楽しめるようになる。
少し休憩しようか、と荷物をおろして、
ふと後ろを振り返ると、
ああ、こんなに登って来たんだ、と思うことが度々あった。
頂上頂上とおもわなくても、「登ること」自体に目を向けていると、
案外、気づけば高い所にいるということも、あるのではないかと思う。
コメント
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blog読んでます!
ついつい理想ばかり見てしまって、その差に嫌悪してしまったり。
それでもコツコツやってると、意外と前に進んでいたり。
そうやってちょっとずつ成長できてるのかな、と読んでて感じました。 Like
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>にっしー
なんと!ありがとう!うれしいよ。
いまは、ドイツかな。
寒さが厳しいと思いますけど、体に気をつけて頑張って下さい。
らせん階段みたいに、ぐるぐる回っているようで、少しずつ上に上がっている…んだと信じたい。笑
お互い、色々がんばりましょう。
日本へ帰って来たら教えてね。 Like