花束と昼ビール、そして「たぬきや」

休日。きょうは奥さんの歌のレッスンの日だ。その間の2時間ほど、息子を外に連れ出す。

あ、そうだそうだ、ちょうどコーヒー豆が切れていたんだった。買いに行こう。大分熱くなって来たから、熱中症に気を付けないとな。

ベビーカーをもって息子と外に出たものの、全然乗ってくれなくて、近所をぶらぶら歩いていた時。いつも家の前のプランターを色んな種類のお花できれいにしてらっしゃるお宅の前を通った。息子はそれをみて「おななー!おななー!」と連呼していた。お花、の意味であろう。

すると、その声が聞こえたのか、ベランダにそのお宅のご婦人が出てきてくださった。

「あら、お花、好きなの?ちょっと待っててね。」

ややあって、玄関からその方が出て来た。手には、はさみ。

ちょうど手入れするところだったから、とお花を切って、わざわざ花束にしてくれて(慣れているのだろう、とても手際が良かった)、息子に手渡してくれた。

息子もたいそう喜んだ。丁寧に御礼を言うと、その方も、嬉しそうに笑った。子どもと一緒にいなければ、言葉を交わさなかった人、出来なかった経験が、結構ある。

子どもってすごいなと思うときがある。

ベビーカーに乗っても、息子は花束を入れたビニール袋を離そうとせず、ずっと握っていた。

いつもコーヒー豆を買う、家から20分ほどあるいたところにあるカフェ。安くて美味しいので、豆はいつもここだ。そのカフェに着く頃には、息子はすやすやと眠っていた。眠ってしまう前に、お茶を飲んでくれて良かった。何しろ、暑い。急いで中に入る。ひんやりとした空調の風が、心地よい。

オーナーとちょっと世間話をして、いつもの豆をもらって、お金を払おうとするが、ちょっと迷って、コーヒー飲んでいって行っていいですか?と言う。もちろんいいですよ、とオーナー。

いざ座ってみると、息子はまだ気持ちよさそうに寝ている。お店の方が注文を取りに来てくれて、アイスコーヒー、と言おうとして、ふと「これって、昼も注文できるんですか?」と聞く。「あ、大丈夫ですよ」。それで、ついつい、頼んでしまいました。何しろ、暑いから。

たまには…いいよね。そう、全部、暑さのせいだ。息子、たいてい、すぐ起きるんだけど、この日は起きる気配がない。持ってきた本を開く。暑い土曜の午後に、カフェでビールを飲みながら、本を読む…。最高ですね。

本を読むのに疲れて、ビールを飲みながらしばしぼんやりしていると、思い出したことがあった。多摩川沿いの「たぬきや」のことだ。

「たぬきや」は、いつも僕が走る多摩川の川べりにあった、お店で、まさに海の家(川の家か)といった感じの店だった。おでんとか焼きそばとか、簡単な食べ物と、お酒が気軽に楽しめるお店。

いつも、走るコースの中間地点にあるため、生唾を飲みながら、「今度、ここでビール飲むためだけに来よう。帰りは稲田堤から電車で帰ればいいんだ」と思い、楽しみにしていた。

フォローしている方が撮影した、「たぬきや」。すぐ川の横に、お店を構えている。

しかし、そのささやかな夢はかなうことはなかった。ある日突然、「たぬきや」は閉店していたのだった。ショックだった。

それから、すっかり忘れていたのだが、たまたまtwitterでその閉店理由をしることになった。

実際、閉店した次の年の台風(2019の台風19号だ)の時、多摩川は土手まで水がいっぱいになった。このタイミングで、この理由で閉店したお店の方は、川の変化を身近に感じ取っていたのだろうか。

 

教訓。楽しみにいていることは、思い切ってすぐ実行すること。

高校の数学の先生が、こんなことを言っていた。

『人は「いつか必ず」と考えるが、
 その「いつか」が誰にでも訪れるとは限らないのだ。』

コーヒー豆を買って、家路についた。相変わらず、暑い。

暑いときにビールを飲むたびに、飲むことの叶わなかった「たぬきや」のビールのことを思い出すことになるのかもしれない。暑いときの(特に走っているとき)、想像上のビールの味に勝てるものが、この世の中にあるだろうか?そしてそれは、永遠に理想の味のままになってしまったのだ。

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