お守りと火、それからやる気

お守りは、分けられた火のようなものです。火は、他のものに火を移しても、移す前と同じように燃えますよね。「ご本尊」が元の火のようなものだとすると、お守りはそこから派生したたくさんの小さな火のようなものです。

そういう説明が、昔買ったお守りの袋の裏に書いてあった。
へー、と思った。

やる気が出る事を「火がつく」というように表現することがあるが、これもまた、お守りのように火に例えられる気がする。

教育というものにも様々な形が有ると思う。テクニカルなことをわかりやすく教える事もその一環だと思う。だけど、教育の基本は、「火をつける」ことだと、個人的には思う。

そしてその意味は、「自分の心の振動を、なんらかの形で他の人に伝える事ができる」ということかもしれない。

自分の中で心が動くときの感覚を常に忘れず、それを人に伝えると、伝えられた人の心も振動し始める。

そういうことのような気がする。

たとえそれを他の人に伝えても、元の心の振動は衰える事がない。
そればかりか、他の人に伝わる事で、さらに大きく振動しはじめることもある。

頭でっかちにならないこと。
素直になる事。

自分の中で、心が動く感覚を大事にして、ゆっくりそれを大きくして行けば、テクニカルな部分は「義務」ではなく有効な「手段」として学ぶ欲求が出て来ると思う。

「君の”知りたい”からすべてが始まる」と言う言葉は、ある高校の校長を紹介するテレビ番組で出て来た言葉だけど、結構好きな言葉の一つだ。

まあなんか色々と
スポンサーリンク
スポンサーリンク
シェアする
ton2net.com

コメント