知ることは怖い事

大学の時、飲み会の後で、どういう文脈だったか、友達が
「知るってことは怖い事でもあるよね。
 一回知っちゃうと、もう後戻りできないから。」
というようなことを言ったことがあった。
なるほど、と思った。

ルーズベルト大統領が、原子爆弾の開発に踏み切るきっかけになった
「アインシュタイン・シラード書簡」がある。
まだ「核分裂」すら発見されていなかった時代に、
シラードは今の核兵器、原子力発電を可能にする根本的なアイデアに気づいた。

シラードは、信号待ちの間に、核について思いを巡らせていた。
信号が青に変わり、人々が歩き出した。
シラードも前へ踏み出した。
その時、シラードはふと思った。
中性子を打ち込む事によって、さらに多くの中性子を吐き出すような物質があれば、
ねずみ算式に反応が起こり、エネルギーを得る事ができるのではないか、と。

人間の脳は、コンピュータに比べると、はるかに省エネにできている。
それは、一般的なコンピュータが
ノイズを抑えることに大部分の電力を費やしているのに対し、
人間の脳はそのノイズをうまく利用して発想しているからだと聞いた事がある。

「ノイズ」だから、ほとんどは意味の無い思いつきになってしまうけれども、
自分が意図していなかった重要なことを思いつく事が可能な機構であり、
その一部が「大発見」と呼ばれる。

この時のシラードも、そんな何億分の一かの可能性で
ノイズが、シグナルに変わった瞬間だったのだろう。

この思いつきは、その後、マンハッタン計画へとつながっていく。
ユダヤ人のシラードにとってナチスがアメリカよりも先に核兵器を持つ事は、
なんとしてでも食い止めたかったことだったに違いない。

きっとシラードではなくても、他の誰かがここに至ったのだろうと思う。
とにかく、人類は(原子核というものについてほとんど何もしらないまま、)
核力という莫大なエネルギーを得る方法を知ってしまった。

一度知ってしまったら、知る前の状態にはもどれない。
その知を、いかに使って行くかを、考えるしかない。

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