分かってから、考えろ

昔、大学の研究室にA木先生という方がいらっしゃった。
もうかなりのお年で、既に退官されていたが、嘱託という形で研究室に所属しておられた。ある分野におけるコンピュータ・シミュレーションの権威であった。

ミーティング等で、一昔前の理論・実験両方の研究者達の雰囲気を良く語ってくれ、「昔、○○さんという恐ろしく頭の良い人がいてねぇ…」などという昔話は、結構みんなの楽しみになっていたものだった。

研究室では、週に一回論文をみんなで読む会、というのがあって、そこに、A木先生も参加してもらっていた。

A木先生節、というのは非常に非常に独特だった。
「昔ねぇ…実験でねぇ…○○みたいなことをした若いモンがおってねぇ…。
 君たち、そんな事したらどうなるかわかるか…。そんなことしたら、
 死んでしまうぞ!

この「死んでしまうぞ」の所だけものすごい勢いがつくのであるが、初めてこの金言に触れた新3年生なんかは、ものすごくびっくりしてしまうのである。

そんなとき、先輩達は目を見合わせて、(出ました!!)とほくそ笑むのである。

「死んでしまうぞ!!」と並んで忘れられない言葉がある。
それは、「分かってから考えろ」という言葉である。

この言葉の真意は、実を言えばよく分からないのだが、おそらくは(A木先生風に言えば、
「あのねぇ…わからないうちから悩んでも、
 いつまでたってもわからないんだよねぇ…。
 とにかく手を動かしてねぇ…。
 こういうことか、と分かってからが、考え始めるポイントなんだよねぇ…。」
というようなことではなかろうかと推測している。

「何のために働くのか」、
「”優しい”とはどういうことか」、
「幸せってなんだろう?」…。

生きていると、もう本当に難しいことだらけで、真面目に考え始めてしまうと、もうその都度、足がとまってしまう。挙げ句、自分のやっていることに、意味なんて無いんじゃないか、と思ってしまう時もしょっちゅうだ。

そんな時、僕は、A木先生のこの言葉を思い出すことがある。
「分かってから、考えろ」。

とにかく何か、形にしてみる。
一旦、その問題は脇に置いて、別のやることをやってみる。

大事な「意味」から目をそらしているようにも思えるけど、後から振り返って「わかる」ことも多いような気がする。

「そうそう…そんなに力んでもしょうがないからねぇ…」。
どこからか、A木先生の声が聞こえるような気がする。

そうだそうだ。
あんまり悩んで考え込んでしまったら、それこそ、死んでしまいますよね。

コメント