サンデル教授の授業とサイエンス・コミュニケーション

日曜日に、NHK教育で「白熱教室 in Japan」という番組が放送された。

ハーバード大学のマイケル・サンデル教授による人気授業”Justice with Michael Sandel”の日本語版「ハーバード白熱授業」の人気を受けて、サンデル教授が来日。
東大で講義した。
(“Justice with Michael Sandel”は、こちらから見る事ができる。
 英語だが、授業には英語字幕をつけてくれてある。
 また、まとめメモが公開されている「ハーバード白熱教室ノート」も参考にされたい。)

授業はサンデル教授の問いかけに対する生徒同士のディスカッションで進み、
出てきた意見に教授が補足し、まとめることを軸にして進むという大変エキサイティングな展開だった。

「白熱教室 in Japan」を見終わった時、以前このブログで紹介したランディ・パウシュの「最後の授業」に出てきた”頭のフェイント”という言葉を思い出した。
最後のサンデル教授の言葉が、講義を通して「受講者に本当に伝えたい事」だったように感じられたからだ。

サンデル教授は、講義の冒頭で「基本的な3つの正義の考え方」を示した。

1. 最大多数の最大幸福を実現する事が、正しい事だとする考え方(e.g. ベンサム)
2. 人間の尊厳を最大限に尊重することこそが、正しい事だとする考え方(e.g. カント)
3. 美徳と、共通善を育むものこそが、正義だとすること(e.g. アリストテレス)

その後、3つの事例をもとに、受講者に意見を求めた。
a. 給仕のパーカーの事例
難破した船から脱出した3人の船員が、給仕であったパーカーを殺害し、
彼を食料として命をつないで無事に救出された事件。この殺人は正しいだろうか?

b. イチローの年俸についての事例
イチローの年俸は約15億円。対してオバマ大統領は約3500万円である。
イチローの年俸は、高すぎるだろうか?それとも正当な額だろうか?

c. 東大裏口入学仮定の事例
東大の入試で、入試では合格に至らない生徒がいる。
彼を合格にしたら多額の寄付が東大になされるとして、彼を入学させるべきだろうか?

生徒の出す自由な意見をまとめて行く中で、サンデル教授はその中に、最初に提示した「3つの考え方」を見いだして行く。

サンデル教授は、意識しなくても、このような議論の中に「正義を考える根本的な概念」が見いだせる事を指摘し、授業を次のようにまとめた。

私たちはこの講義を通じて、正義や権利、共通善にとりくむことができるのは、哲学者だけではない事を示せたと思う。それは、市民たる事の一部なのだ。

正義や権利、また、ベンサムやカントやアリストテレスなどは、私たちの生活とかけ離れた、全く別世界のことのように感じてしまう人も少なくない。

しかし、実は私たちがニュースや、身の回りの出来事に対して意見を持つ時、意識をしていないだけで実は、
「正しいとはどういうことか」
「良いと悪いの境界はどこにあるのだろうか」
といった根本的な問題に触れている。

サンデル教授は、問題を提示してその場の人間に「自由に」議論させる中で、その事を実験的に「証明」した。
その意図は最初に明かさず、最後に、「そういうことだったのか」と参加者を納得させる説得力のある講義だった。

私は今、大学院で物理を学んでいるが、そこで感じた事は、「科学は、人間が自然を理解し、向き合うための考え方や方法」だということだった。

科学という何か巨大な物が既に存在する訳ではなく、その「やり方」は日々より良い物を目指して更新されるものだと思う。

もしそうだとすれば、日常とかけ離れたものだと思われがちな科学の方法論もまた、毎日の生活の中で、直面した問題に取り組む時に、自分や、親しい人を理解する時に、役立てる事ができると思うし、意識しないうちに使っているのではないかと思う。

科学の魅力の一つは、日常とかけ離れた壮大なスケールにある。
宇宙の話や、細胞の話など、科学の最新のテーマについて「理解を深める」という点でもサイエンス・コミュニケーションは意義がある。

そして同時に、科学というものは、実はもっと平凡で、身近な物でもあり得るという事、そして、科学の行く末を決めるのは、偉い科学者だけではないという事を伝えるためにサイエンス・コミュニケーションという方法があるのだと私は思う。

科学のこと、技術のこと
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