失敗と思いやってみることについて

どう考えても、大学では色々失敗して来た。
6年間で、結局うまくいかないことも沢山あった。

どんどん失敗した方がいいとか、
失敗なんて後で考えたら良い思い出だとか
いうけれども、
基本的にうまく言った方がいいよねー。

だって、うまく言った方が、失敗するにしてももっと先で失敗できるかもしれないし、
うまく言った方があとで良い思い出よりもすぐ良い思い出になるし。

けれども、思うのは、失敗するたびに、人を思いやる、ための材料が増えるのではないか、
ということです。
大学に入って、色んな人に会って、全然気持ちがわからない人もいたけれども、
今なら、少しはわからんでもない!ということも有ると思います。
そして、分かる人は、さらにその背景に目をやる事も出来ると思います。

研究でまなんだことは、
「ひとつのことをちゃんというのは、すごくむずかしい」
ということでした。

簡単そうに見えても、よく目を凝らしてみると、複雑に様々な糸が絡んでいる。
その中にあって、落ち着いて糸を一本一本たぐりよせてみること。
それこそが、「学び」ではないかと思います。

今、元気があって絶好調の人!
どんどんやったってください。
応援しています。

けれども、同時に、もう何にもうまく行かないや。
私、誰の役に立ってるんだろう、という人。
僕はきっと、どちらかと言えば、ずっとそちらの側に立っている人間だろうと思います。
頑張れとは良いません。
一緒に、歩いて行きましょう。

短いですが、今ふと思った事を書きました。
さ、筑波最後の飲み会は
なんとなく36飲み?6年生最後の砦が、皆を思い出して頑張るよ!?です。

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