親鸞和尚と月の光

「ほぼ日刊イトイ新聞」の中に、
「おとなの小論文教室。」というコンテンツがある。
山田ズーニーさんという方が書いているコラムである。
小論文の書き方というよりかは、
「生き方」「人生の色々なことのとらえ方」のような
ことが書いてあって、おもしろい。
大学のときなど、欠かさず読んでいたなあ。
最近も、折あらば読ませて頂いている。
きょう、読んだ回「分岐器」には、
「問題のとらえ方」を変えたことで、
実際には具体的に問題解決していないが、
前に進むことができた、
というご自身の体験が書かれていた。
読みながら、思い出したことがあった。
広島にいた頃、中国新聞という地方紙をとっていた。
そこに五木寛之さんの「親鸞」という連載小説が
掲載されていた時期があった。
いつも読んでいたわけではないのだが、
ある日必要に迫られて、
会社の資料室でひとり
大量の新聞を繰っていたところ、
ふいにこの連載小説が目にとまった。
その回は、親鸞が人々に自分の経験を語る場面であった。
それは、「念仏」ということを説明するための比喩であった。
親鸞は子どものころ、和尚に仰せつかった荷物を、
有る場所に届けなければいけなかった。
暗い山道を歩いて行くが、
荷物は重く、足元は見えず、
自分がいまどこにいるのかもわからない。
疲れと恐怖で、一歩も進めなくなった。
そんなとき、さっと月が、雲の合間から姿を見せた。
すると、月光に照らされて、自分の進むべき道が見えた。
目的の町の明かりも、かすかに見ることができたのである。
すると不思議なことに、立ち上がり、
また歩を進めることができた、というのである。
親鸞は言う。
 「背負った荷の重さが変わるわけではない。
  行き先までの道のりがちぢまるわけでもない。

  だが、自分がこの場所にいる、
  この道をゆけばよい、
  そして向こうに行き先の燈(ひ)が見える、
  そのことだけで立ちあがり、
  歩き出すことができた。

  念仏とは、わたしにとってそういうものだった。」
      (五木寛之『親鸞』237回(中国新聞))
その時僕は、仕事の締切までに時間がなく、
あせっていたのだが、
なぜだかこの文章が目に留まり、
前後の回も含めて、読んでしまった。
そして、そのとき少しだけ
心が軽くなったように感じたのを覚えている。
新聞のこの小説の箇所は、
コピーして自作のスケジュール帳に貼っておいた。
いまでもたまに、取り出して読んでみたりする。
何かと忙しかったり、
何かとうまくいかなかったりすることが多いけれど、
それでも、毎日生きてゆく。
我々にとっての「月の光」とは、一体何だろうか。

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