寒雷や びりりびりりと 真夜の玻璃
ー 加藤楸邨
という句が、いつぞやの国語の教科書に載っていた。
寒雷?と思った。
後半の振動感はなんとなくわかるけれども。
冬に雷なんてなるの?と思った。
寒雷?と思った。
後半の振動感はなんとなくわかるけれども。
冬に雷なんてなるの?と思った。
北陸に来てみると、それがよくわかる。
秋から、本格的な冬に移行するまさにそのとき、おそろしいくらいに、雷が鳴る。
朝起きると、不思議な空の気配だった。
遠くで、小さく雷鳴が聞こえる。
季節の移ろい、というものは良いものだと思う。
これまでも、食べ物だったり、空だったり、空気の匂いだったりと、自分なりにそれを感じて楽しんで来たと思っていた。け
れども、雪国の、「これから冬になります」という情緒は、雪国に住んでみなければわからない濃密さがあると思った。
少し前まで(ときには、現代でも)、雪国の冬と言うのは死活問題だった。
準備が至らなければ、深刻な問題が発生する。
きっと、その準備の時期の見極めとして、「冬の到来」を味わう文化が生まれるのではないか。
「もうすっかり冬ですね」という何気ない会話の中にも、そういう切実さがあるような気がして、なんとも言えない、奥深いような、ちょっと切ない気持ちになるのである。
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