「ちょっかい出す」こと


レコーダーに吸い込まれ、
出てこなくなったDVDを救出している、図。

映像を録画したり、
画面に映してみたり…ということをするのに、
かくも複雑な仕組みが必要なのか、
とレコーダーの蓋を開けてみて思った。

完全にブラックボックスだ。
「昔はもっと簡単でよかった…」と
在りし日を偲ぶおじいちゃん・おばあちゃんがいるのも頷ける。

しかしけれども、と思う。
機械に限らず、結構いろんなことがブラックボックスではないかとも思う。

最たるものが、人の心だ。
自分がなんか言う。
相手が急に不機嫌になったりする。
あれっ?と思ったりする。
どういう仕組みなのか、よくわからない。
もしかしたら、不機嫌になった本人さえ、
よくわかってないかもしれない。

大学にいた頃、物理を専攻していた。
一年生の時、「物理学通論」という授業があって、
その内容はほとんど忘れてしまったけど、
あるとき先生が
「物理することは、ちょっかいを出すことです。
なにやらよくわからないものがあって、
とにかく我々はちょっかいを出す。
それで、どんな反応があるか、よく見る。
そこから、相手がどんな姿をしているかを想像するのです。」

なるほどなあ、と感心したのを覚えている。
もうちょっと、他の部分も真面目に聞いておけばよかったな。

ちょっかいを出したり、出されたり。
大抵のこと・ものは、
レコーダーみたいにドライバーで開けて中を覗いたり出来ないから、
そうやってだんだん、詳しくなっていく。

谷川俊太郎さんが言う、
「やさしいということは、
そばにいてあげるということです」
ということにも、通じているのではないかと思ったりする。

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