「フェルマーの定理」と「育児の孤独」

この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、
この余白はそれを書くには狭すぎる・・・。

こう言い残したのは17世紀フランスの数学者、ピエール・ド・フェルマーだ。
数多の数学者を惹きつけ、そして人生を狂わせた一本の数式。

この数式が解を持たないという定理は、
いつしか人々から「フェルマーの最終定理」と呼ばれ、
多額の懸賞金までかけられるようになった。

実に360年という歳月を経てこの証明を完成させたのが、
数学者のアンドリュー・ワイルズだった。

彼は証明に取り組んでいることを口外せず、
一人孤独の中で考え続け、たどり着いたというのだから本当に驚きだ。
その歳月は、実に7年間
とても常人には真似できないなあと思ってしまう。

この証明に至るまでの数学者たちの挑戦は、
サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」に詳しい。
非常に難解な数学の世界を、
「素晴らしく人間くさいドラマ」として描いた名著ですのでぜひ、どうぞ。

さて、ワイルズが偉業を成し遂げた背景にあったのは「孤独」だったが、
サイモン・シンはこの本の中で、むしろ数学において「対話」は非常に重要であり、
ワイルズの例は特殊だと何度も述べているところが興味深い。

たとえば、証明成功に向けた大きな一歩である
「谷山=志村予想」について、重要な発見が成されるシーン。

一人で悩みながら考えてきた証明について、
良いところまで行ったんだけど、「あと一歩が分かんないんだよねー」と
ある数学者が、カフェで別の数学者に相談を持ち掛けたときの一節だ。

メーザー教授はカプチーノをすすりながら
リベットのアイディアに耳を傾けていたが、突然ぴたりと動きを止め、
信じられないといった顔でリベットをみつめた。

「おい、わからないのかい?もう解けてるじゃないか。(中略)」

リベットはメーザーの顔を見つめ、
カプチーノのカップに目を落とし、それからまたメーザーの顔を見た。
それは、リベットの数学者としての人生の中でももっとも重要な瞬間だった。
彼はそのときのことを鮮やかに覚えている。

「私はメーザーに言いました。
 きみの言う通りだ、どうしてそれがわからなかったんだろう、と。
 まったく愕然としましたよ。
 (中略)
 こんな簡単なことに気づかなかったのですから。

サイモン・シン「フェルマーの最終定理」(p311,文庫版/青木薫・訳)
※数学者のケン・リベットとバリー・メーザーのやりとり
※改行・太字はブログ著者による
つまり、一人で悶々として「あと一歩なのになー」と思っていたら、
友達から「それでいいんだよ。もはやOK,googleだよ。」と
諭されるというシーンです。
(実際にはここで「(M)構造のガンマ・ゼロを加える」という数学的処理で
 すべて解決する…という内容が書かれているのですが、
 「まあ簡単っていってもカプチーノ飲みながらそれができるのは、
  世界でも一握りの数学者だけですので、あしからず…」
 と著者も注を入れています。すごすぎる。)

で、この本をここまで読んでいてなるほど…と
つい本をぱたんと閉じ、読書の手を止めてしまったのだが、
これは確かに日常でもよくあるよなあ、と思ったのである。
(問題の難度のレベルの違いはさておき…。)

人間(というか僕は)、
一人で考えていると「どツボ」にはまってしまうことがよくある。
でも人に話してみると、往々にして「大したことない」ことが多い。

そう。解決策が見つかるというよりかは、
「そんなに悩まなくても良かったんだ。なんだ。」
と思うことがすごく多いんだと思う。

3か月の育休で学んだのは、まさにそこだったなあという気がする。
平日の日中に一人で子どもと過ごしたのだが、
「実際にやること」は想像に難くなく、
ミルクをあげて、おしめをかえて、抱っこして、遊んで…ということの繰り返しだ。

でも、それを「ずっと一人で繰り返す」中で、
自分がどういう気持ちになるのかについては、
しっかりと想像できていなかったように思う。

僕は息子を常々、「奇跡のように可愛い…!」と思っているが
それでもずーっと泣き止まない息子を一人で相手していると、段々イライラしてくる。

「もう、いい加減にしてくれよ!」と本気で思ってしまう自分が出て来たこともある。

そりゃ子育てしてればそういうこともあるだろう…とも思うのだが、
実際に目の当たりにしてみると、結構びっくりしてしまう。
そして、多少あとで自分のことが嫌いになるし、落ち込むこともある。

だから、僕にとって奥さんと二人で子どもと接する時間は、
本当に貴重でうれしい時間だ。

一人だったら、なんでだろう、ああどうしよう…というような場面も、
二人だと、たわいないことを話しながら、
「あはは、かわいいね~」と笑顔で接することができることが多いように感じる。

そういうとき、一人でイライラしていた自分を思い出すと、
「どうしてそれがわからなかったんだろう。大したことないのに。
 まったく愕然としてしまうよ。」
と思いたくなるのだ。

とはいえ、今の社会では多くの男性が日中に仕事に出て、
多くの女性が一人で子どもと向き合うケースが多いと思う。
(僕もついに今週木曜から復帰なのです。。。)

それに、パートナーが不在で常に一人で子どもと向き合わざるを得ない方も、
少なくない数いるだろう。

「育児がどうしたら楽しくなるか」というような議論をSNSなどで
すごくたくさん見てきたけど、その答えの一つは確実に、
「信頼できる誰か」と対話しながら育てるってこと…だよなあと、
今更ながらに確信したのであった。

それはわかりきった話で、じゃあどう実践していくかっていうことが、
本当に大事なところなんだけど…。

いよいよ育休も終わりで寂しい限りなんですが、
自分にできる・続けられる範囲で、一歩一歩、考えてやっていきたいなあと思います。

(追伸;)
そういえば、職場の女性の先輩が、育休入る前に
「夫は育児の楽しいところばっかり見てて、私の辛さが全然わかってない」
と言っていました。

聞いた当時は、どういうことかイマイチわからなかったのですが(すいません)
いまならちょっと、わかる気がします。

基本、仕事に行っている人は帰ると子育てしている人がいてくれて、
常に「誰か」と一緒に子どもと接せることになるんですよね。

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