あの山の向こうに(自分ではどうしようもないこと)

大学生の頃、ワンダーフォーゲル部に所属していた。

これは結果としては概ね良い選択だったなあと思う。
いろんな楽しい人々とも出会えたし、
なにより素敵な山で、素晴らしい景色をたくさん味わえた。
でも、やっぱり山に登ると言うのはしんどいものです。
長期の登山で、荷物が重くて、
おまけに天気が悪くて…
というような状況では、
「ああ、ちくしょう、
 はやく山小屋みえねえかなあ」
とか、つい思ってしまうのが人情というもの。
で。
「偽ピーク」と呼ばれる言葉がある。
ある山を越えて小屋に向かうとき、
しんどい登りがあって、
ぜーぜー、この登りでようやく頂上かよ、
と思うのだが、人生は甘く無い。
なんと、その登りを終えた時に、
眼前に真の頂上が表れ、
人々を絶望に陥れるのである。
(まあ、ちゃんと地形図を読めばわかることなんだけど。)
で、新人の時には「偽ピーク」に見事にだまされるのであるが、
年をとるにつれ、
「まあ、大体偽ピークだから気長に行こうや」みたいに達観してくる。
年若い頃は、
「ああ、お願いします。
 この山の向こうに、もう一つ山が見えませんように!」
などと心の中でなむなむと唱えたものだった。
でも、あるときふっと、しかしまるで天の啓示のように
「これって意味あるのか?」
と思った。
つまり、祈った所で次の山が消えるわけではない。
ある時はあるし、ないときは無いのだ。
つまり、現実は変わらなくて、
それを捉える自分がいるだけなのだ。
その時僕は20歳くらいだったと思うけど、
ふいに、そんなことを感じたのだ。
この瞬間はそうは思わなかったけど、
現実において大抵の事が、
この「偽ピーク」と似ているかもしれない。
どうにかできることと、
自分ではどうにもできないこと。
後者の場合、
とにかく、登ってみるしか無い。
まあ、次のピークがあったらあったで。
なんか、そういう風に考えるようにしている。
とはいえ、やっぱり
「なむなむ!」と思う時も結構あるけど。
旅ゆけば
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