高校の廊下で”ハンドスプリング”を練習したこと

あけましておめでとうございます。
どうも最近腹筋のあたりが痛いなと思っていたら、どうやら、
年末から年始にかけていろんな人たちに会って笑いすぎて、
筋肉痛になってるみたいです。
本当に笑いまくった。

夕方、今年最初のブログに何を書こうかなと思いながら、
「走り初め」で実家の近くの小学校のグラウンドを走っていた。
そしたら、ふと高校の時に「ハンドスプリング」を練習していたときの話を思い出した。

高校二年かそこらだったと思うが、どうしても「ハンドスプリング」を習得したいと思っていた。

「ハンドスプリング」というのは体操の技で、「前方倒立回転跳び」とも言う。
つまり、だっと走って前のめりになって一回転してまた足で立つ技だ。

グラウンドとかでも練習してたけど、どうしても背中から落ちてしまって、立てずにいた。
初めてできたのが、なぜか学校の棟と棟を結んでいる、屋外の渡り廊下だった。
テスト期間中かなにか知らないけど、あんまり人もいなくてひっそりしていて、
教室に数人が残って勉強していたりした。

ふと暇だなと思って、渡り廊下に差し掛かったあたりで練習を開始してみた。一人で。
今思うと、結構やばいなと思う。笑

それで、最初何度かやってみたけどやっぱりだめだった。
なんでうまくいかないのかなぁ、と結構冷静に思った。
どうしても、着地のときに後ろに倒れて仰向けになってしまう。

で、なんか女の子にも目撃されて「ひっ」みたいな声を上げられたし、
もう帰ろうかなと思ってたときに、
もう一回だけやってみようかなと思った。

もう一回だけ。
これで失敗したらもうやめようと。

それで、なんとなく助走をつけて、もうそのまま前へ倒れる感じで手をついたら、
気づいたらちゃんと着地して、立てていた。
なんだ、こんなに簡単なことだったのかと思った。

今思うと、もうその時期なら、いつだって、それを成功させることはできたんだと思う。

たった一つ成功を阻んでいたのは、自分自身意外の何者でもなかった。

本当にできるのか?失敗したら痛いかも。
そういう、無意識の思考が、前へ倒れる前に踏み足にブレーキをかけさせていた。
ただ信じて、前へ倒れれば良かったんだと思った。
怖いのは、もうそれは自分では無意識のうちにくせになってしまうということ。

考えてみたら、結構いろんなことがそうなんだと思う。
「なぜできないんだろう」「何がわるいのか」。
わからずに何かを実現させられない状況で、
実は本当にそれを実現させることを躊躇している自分がいたりする。

厄介なのは、「切に望んでいる自分」も、「躊躇している自分」も、
本物の自分なのだということ。

ドストエフスキー(だったかな)が
「神と悪魔がいる。その戦場こそが心なのだ」と言っていたが、
神だけでも悪魔だけでもなくて、二つ同居できる唯一の領域が心なのだと思う。

この時習得したハンドスプリング。
その後高校のグラウンドとか、大学行ってもよく芝生の上でやっていた。
たまに夜走って、やっぱり一人で競技場でやったりしていた。
そうすると、あのときの「あ、できた」っていう感覚を思い出して嬉しくなったりする。

失敗したっていい。前のめりで。

言うのは簡単だけど、実は結構こわい。
背中を地面に打ち付けるのは、ほかならぬ自分だからだ。
でも、やっぱり「やるだけやって」というのがいいかもしれないと、
このハンドスプリングから教えてもらった気がしている。

今年もたくさん失敗すると思うけど、どうせやるなら、前のめりがいいと思う。

まあなんか色々と
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