自分が見知らぬ土地に行って、
そこを走ってみると、色々な発見があっておもしろい。
車では通り過ぎてしまう景色、
歩いていてはたどり着けなかった場所。
走るから、見える風景と言うものが、あるような気がする。
いま、書いていてふと思い出したのが、
大学3年生のときに行ったウズベキスタンのことだ。
友達がどうしても行っておきたいというので、
交通事故にあった保険の「見舞金」を使って同行した。
はじめての海外旅行だったけど、
2週間あまりで二回も現地の結婚式に紛れ込んだりして、
結構おもしろい経験が色々できた。
首都のタシケントという所から入って、
3日目くらいに「サマルカンド」という都市で一泊した。
午後3時くらいには宿に落ち着く事ができたので、
少し走って来るねと外に出て、ふらふらと1時間くらい走った。
観光地の「表の顔」とは違って、少し走ってみると、
ウズベキスタンの「素顔」を見た気がした。
ゴミが山になっていたり、こんなことを言うのは失礼だけど、
一見、廃墟のような家が立ち並んでいたり…。
でも、そこで遊ぶ子ども達はみんな笑顔で元気そうで、
(走っていると大勢ついて来るのだ!)
老人がひなたぼっこしていたり、
おばちゃんたち井戸端会議で明るく笑っていたりと、
なんだかとても素朴な雰囲気に満ちあふれていた。
ゆっくりと走っていると、
絨毯をそとで洗っているお母さんが目に留まった。
ウズベキスタンは織物で有名な地域で、
一枚数百万という織物なんかが展示してあるところを見たりした。
きっとそれは、そんなに高価なものではなかったんだろうけど、
彼女の家族がその上で暮らしを続けて来たんだなという、
一種の貫禄なようなものが色合いなんかからにじみ出ていた。
絨毯を丸洗いしているところなんて、生まれて初めて見た。
珍しそうにちょっと立ち止まって見ていると、
そのお母さんは、僕の方を見てにこっと笑った。
「こんなもの珍しい?」というように
周りでは、子ども達がわーいという声をあげて、遊んでいた。
なんとか見覚えのある観光地通りに戻って来れた時には、ほっとしたのを覚えている。
ウズベキスタンでは、色んな面白いことがあったけど、
一番心にしみ入る風景として残っているのは、
あの、少し傾きかけた陽光の中で
お母さんが絨毯を洗っていた情景かもしれない。
安全なところばかりじゃないと思うので、
一人でこういうことをするのは
場合によっては良く無いのかもしれないけど。
でも、あれが無かったら、
僕にとってのウズベキスタンの印象は、
また少し違うものになっていたかもしれないなと思う。
コメント