「坊っちゃん」には”きよ”がいるが、桜井みかげには最初、”台所”しか無い。
この違いが、現代の若者の孤独をよく表しているのだ、と何かの本に書いてあった。吉本ばななの「キッチン」には、身近な大切な人の死を経験してしまった主人公みかげとみかげの居候先となる家の一人息子、雄一の心の交流が描かれる。
続編の「満月-キッチン2」で、みかげがカツ丼屋から旅行中の雄一に電話をかけるシーンがある。表面上は何気ない会話を続けながら、みかげのカンは、「ぞっとするほど」冴えるのである。
二人の気持ちは死に囲まれた闇の中で、ゆるやかなカーブをぴったり寄り添って回っているところだった。しかし、ここを越したら別々の道に別れはじめてしまう。今、ここをすぎてしまえば、二人は今度こそ永遠のフレンドになる。
間違いない、私は知っていた。
でも私はなす術を知らない。それでもいいような気さえ、した。
(p.123,改行著者)
みかげは電話を切った後、ものすごい脱力感に襲われ、「ふれあう事の無い深い孤独の底で、今度こそ、ついに本当のひとりになる」のだと感じる。
しかし、その後出された「すごいおいしさ」のカツ丼を食べた時、みかげは衝動的に言っていた。
「おじさん、これ持ち帰りできる?もう一つ、作ってくれませんか。」
みかげは、届けたカツ丼を食べる雄一を見て、「やるだけのことはやった」という気持ちになる。そこで選んだ彼女の「なす術」は、「素直に語る」ことだった。先を考える事もやめて、ただ心の中にある言葉をすくい上げて言葉にする事だった。
そして物語は完結へ向かう。
雄一は決断し、みかげは「すべての答え」を感じ取る。
「恋愛」の定義を、早稲田大学の日本近代文学研究者 石原 千秋は村上春樹の作品を例に挙げて、次のように語る。
『ノルウェイの森』は、「ワタナベトオルの物語」と「直子の物語」が葛藤した錯綜体だったのである。繰り返す。文学はそれを恋愛小説と呼ぶ。
そして、この錯綜した二つの物語を、「恋愛」と呼ぶ。
(石原 千秋「謎解き 村上春樹」p.327,改行著者)
「交わる」や「沿う」ではなく、「錯綜」(複雑に入り組む事)という表現が、リアリティを増している気がする。
みんな、一人一人が、本当に様々な事を考えて、真剣に悩んでいる。「錯綜」まで行かなくとも、大学に入っていろんな人と道を交えたり、沿わせてもらっている気がしている。
他人と100%分かり合うことができないとしても、人は誰でも死ぬとしても、どうせ100億年先には地球は膨張した太陽に飲み込まれるのだとしても、それは素敵なことで、嬉しい事だと思う。
そんなことを考えるきっかけになる(かもしれない)「キッチン」。
ぜひ読んでみてね。
コメント
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先日の飲み会でも、いろいろ考えさせられましたね。
キッチン(私も持っている)、久々に読んでみようかしら。 Like
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良い飲み会でしたね.
よみかえすと,また違う味が出て良いですよ.
しおり作らないと. Like
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※後日談
宇宙の研究してる方に、太陽が地球を飲み込むのは50億年後とも言われているよ、と教えていただきました。 Like
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※さらに補足
ウィキペディア「太陽」にこんな記事もありました。
最終的に太陽は現在の200倍にまで巨大化し、膨張した外層は現在の地球軌道近くにまで達すると考えられる。このため、かつては地球も太陽に飲み込まれるか蒸発してしまうと予測されていたが、20世紀末 – 21世紀初頭の研究では赤色巨星段階の初期に起こる質量放出によって惑星の公転軌道が外側に移動するため、地球が太陽に飲み込まれることはないだろうとされている。 Like