日常の中にある原爆ドーム

広島に来てから、三回目の日曜日。
更新が滞っているので、さぞかし忙しいのだろうな、
と思ってくれる人もいるかもしれないけど、
単にネット環境が整ってないだけです。。。

携帯から更新するのは、ストレスフルで、もはやここらへんで、諦めたくなってきた。
けど、頑張って更新。

今日も、元安川沿いに走ってきた。
原爆ドームの辺りも走ってきた。

なんとなく意外だったのは、
夜の原爆ドームの周り(というか元安川沿い)に、人が結構いることであった。
数人で楽しそうに話していたり、大部分はカップルであった。

なんというか、当たり前のことなんだろうな、と思う。
そりゃ、川沿いで、ベンチがあれば、人もいるだろうと思う。

「意外」というのは、ドームの周りが
「意外に普通の日常」に包まれているということだった。
僕は、これまで、原爆ドームを二回見に来たことがあった。
広島大学を見学しにきた、高校生の頃と、
大学院になってから、広島に住む友達の家にみんなで遊びに来たときだった。

ここに来たとき、なんとなく、
「厳粛にならなければいけない」感じがあったと、今になって思う。
もちろん、この建造物が発する威圧感みたいなものはたしかにあって、
その感じたことから厳粛な気持ちになったということもあるけど、
なんとなく、そういう思い込みというか、
ある意味正しい「義務感」、みたいなものを持っていたと思う。

だから、ここら辺で、楽しそうにしている人たちを見て、
「あ、そうか、そうだよなぁ」と思ってしまったわけである。

きっとここで暮らす人たちは、8月には、他の地域で暮らす人よりも、
「原爆」という点において、考えさせられることが多いと思う。
けれども、だからといって、
ずっとその事について考え続けては、いられない。

原爆ドーム前のベンチでは、特に夜になると、
よく若いカップルが愛をささやきあっているのであるが、
それを見て会社の上司が
「あれだけは何だかいい気分がしないよ」
と言っていた。

それを聞いた時には、確かになあと思った。
でも、そういう見方も確かにあるとは思うけど、
実際、広島のひとたちは、若い人であっても、決して忘れてはいないのだ。

このドームは、原爆投下のあとも、ずっとここにあるわけだけど、
戦後、広島のひとたちは、忘れられない記憶を持ちながらも、
その上で、精一杯、笑いあったり、ふざけたり、喧嘩したり、
誰かを嫌いになったり、好きになったりしながら、生きてきたじゃないかと思う。

そして現代の広島でも、
ドームの周りには厳粛な雰囲気を持つ人がいる一方で、
「日常」を精一杯生きている人たちが集っているんだと思う。

2011年の震災の後には、
「自粛ムード」と呼ばれる空気が日本を覆った。

「忘れない」ということがどういうことなのか、
それは本当に難しいことだと思う。

「あんなことがあったのに…」
とはたから見ると思うかもしれない。

でも、だからこそ、生き残った人たちは、
ある意味何事もなかったかのように、
日常を生きることに懸命になることも、
すごく大事なのではないかと、僕は思う。

まあなんか色々と
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