「共感」と「決めつけ」のあいまいな境界

子育てしてると、いろいろ面白いことに気づくことがある。
ミルクもあげたし、おむつも替えたのに、
なぜか息子が、不快そうに泣いたときのこと。

奥さんが「寒いかな?」と息子に聞いていて、
それを聞いた僕は「えっ、暑いんじゃない?」と少し驚いて言った。


何かというと要するに、
奥さんが寒がりで僕が暑がりだという話なのである。


息子はまだ話せないので、
こちらで彼の気持ちを察するしかないのだけど、
結局、「察する」という行為は
“自分目線”でしかできないんだな…と思った。


息子が話せるようになったら、どんなこと感じたり考えるのか聞いて、
“共感”できたらいいなーと思っているけど、
一方で“共感”しているつもりでも、
「自分はこう思うから、彼もこう思うであろう…」
に近すぎると、それはもはや、一種の“押し付け”かもしれない。

よく言われる
「自分が嫌なことは他の人にしない」
は、概ねいいんじゃないかという気がしているけど、
「自分がされて嬉しいことは、他人にもしてあげなさい」
というのは、結構、難しい場合があるなあと思う。

子どものこと
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