リバーシブル的に素敵なことが起こることの効用

中学の頃、こいつは好きになれやんやろうな、と思ってたやつがいて、
でも、そいつの名字はUで、僕の名前大石なので、
出席番号も近くて、そのうち話しているうちに、
「なんやこいつ!めっちゃおもろい!!」
ってなっていった。

そういうわけで、休み時間はそいつと逆立ちしたり、
空気椅子してて、授業の時間になったけど先生が、
「勝負付くまでやっててええわ」
とか余計なこと言って、授業始まってもバトったり、
一時期は二人でライブ活動を行い、
「ごりんじゅバイバイ」
という伝説の曲を歌い続け、
クラスの女子から冷たい視線を浴びていた。

そういうわけで、まぁ、いうなれば結構「なんてこったい」的な自体がおこっていた。

でも、この出会いは、本当に良い出会いだったと、今になって思う。
なぜなら、「こいつは合わない」と思った人も、後になったら「リバーシブル効果」で、
逆にめちゃくちゃ仲良くなる可能性を、考えざるをえなくなったからだ。

同じように、「こんなん全然おもろないわ」と思ったことでも、
続けてみると非常に奥深く、叡智を与えてくれる可能性に富んでいるように感じられることもある。
物理がそうやった、と思う。
今日は修士論文の予備審査やったけど、話している時に、段々楽しくなって来た。
結構毎日やだなと思うことがあるけれど、
ふいに、こういう瞬間が来るのは、陸上に似ている所があるのかもしれないと思う。

最初は、だれだって辛いと思う。
でも、なんとなく、「きっとこれも、面白いことなんやろな」という、
楽観的な希望を持てるようになった。

年末年始に、社会に出て働き始めている人の話を聞く機会があった。
皆、大変そうだった。

きっとここを抜ければ楽しいと、無理矢理思うんじゃなくて、
理由は分からないけれども、なぜだか心の底では期待している、
みたいな気持ちを持つことは、最初の何年かでとても大事なのではないかと思った。

それは、「面白い」とかじゃなくても、人によっては、
「いつか、人の役にたてるはず」
とかだったりすると思う。

社会に出てからのことなんて、何も分からない。
けど、なんとなく推定される”理論的予測”を、このブログに結構書いて来た。
社会に出てから、「けっ、こんなもん、糞の役にもたたねーよ!」
と思うかもしれない。
思わないかもしれない。

どうだろう。
実験の結果は、あと数ヶ月(たぶん、数年、かな。)お待ちいただくことになろう。

コメント

  1. assai より:

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    「好き」の反対は「嫌い」,ではなく「無関心」だということに近いのですかね.「楽しい」の反対は「辛い」ではなく,「何もしない」こと,みたいな. Like

  2. ton2_net より:

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    おぉ。まさに、そう言うことだと思います!
    2番目のは、新説だね。 Like