バッハとクリストフ。自分自身で組み立ててゆくこと

ヨハン・セバスティアン・バッハ(J. S. Bach)は、9歳の時にお母さんを、そして翌年にはお父さんも亡くしています。
バッハは故郷のアイゼナハを離れ、オールドルフの町でオルガン弾きをやっている長兄クリストフに引き取られることになりました。

一緒にオールドルフの町に来た三歳年上のヤコブは一人でアイゼナハに帰ることになり、バッハはさみしい思いをします。
長兄クリストフはそばにいてくれるものの、故郷を離れ、幸せな生活から一転、ひとりぼっちになったような気がしてしまいます。
そんなバッハを慰めたのは、やはり音楽でした。
バッハは勉強が好きだったので、学校で教わることでは満足せず、自分でオルガンの仕組みを調べたり、音楽に関する本を読んだりしていました。

ある日、バッハはクリストフ家の屋根裏で「大発見」をします。
クリストフは、ベーム、フィッシャーやパッヘルベルなどの著名な音楽家の作曲した音楽の楽譜を、屋根裏部屋にしまっていたのです。
バッハはクリストフに、目をわるくしないため、夜ろうそくの明かりで本を読んだり、勉強したりすることを禁止されていました。
しかし、明るい月夜には、こっそり夜中に起きだしては、その楽譜を写譜する作業に没頭していました。
あまりに夢中で、時間を忘れてしまうほどでした。
楽譜を通してバッハは、屋根裏部屋にいながら、過去の偉大な音楽家たちと、月夜の晩に交流していたのでした。

半年もたつと、バッハは楽譜を全部写してしまいました。

しかし、次の日の夜、クリストフがバッハの部屋に来て、夜中にこそこそと出歩いたり、許可なく楽譜を写したりするのはよくないことだよ、と言い、バッハがせっかく写した楽譜を取り上げてしまいます。
うつむくバッハに、クリストフは優しく言います。

「セバスティアン、僕はお前が憎らしくて言ってるんじゃないぞ。お前はまだ小さいからわからないかもしれないが、もう少し大きくなったら、きっと今夜の俺のしたことが分かってくれると思う。いいか、セバスティアン、よく聞いてくれ。ぼくはお前にとても期待している。お前の素晴らしい天分は、うらうやましいくらいだ。だから、今この楽譜集は見せたくなかったのだ」
「なぜですか、お兄さん」
「 … セバスティアン、お前はバッハ家に実った大きな果実だよ。たぶん僕なんかを簡単に乗り越えてしまうだろう。今はとても大切な時だ。悪くすると小さく固まってしまう。
 将来大きく伸びるためには、お前のような小さな時から、変に完成した音楽を身につけないほうがいい。そう思うのだ。
 せっかく写したんだが、この楽譜はあずからせてもらう。僕の言っていることは、きっとそのうちわかる時がくるよ」

『音楽の父 バッハ』, やなせたかし(音楽之友社) p.42

 

その後、バッハはそれまでにはなかった、新しい音楽を数多く残します。
その音楽への功績が讃えられて、今ではバッハのことを「音楽の父」と呼ぶ人もいます。

バッハが子どもだったころの音楽の勉強法としては、楽譜を写すことは、一般的なものでした。
しかし、クリストフは、それをやめさせました。
(もしかしたら、気づいていたけど全部写し終わるのを待っていたのかもしれませんが。)
なぜでしょうか。

きっと、クリストフは、「良い」「悪い」は、自分で決めろ、とバッハに言いたかったのだと思います。
「偉い先生が書いた音楽」が、「良い」のだと思ってしまえば、その音楽家らには想像もできない、別な「良さ」を考え付く可能性が減ってしまうかもしれません。

私たちは、大人たちが過去に悩み、苦しんだのと同じことで悩んだり、苦しんだりしていることが多くあります。
なぜ、記憶や経験は遺伝しないのか?
その方が手っ取り早く、種として生存できる可能性も増えるのではないかと、思ったことがあります。

でも、人は、同じことを経験したり、同じことで悩んでも、ひとそれぞれ出す答えが違います。
これまでにたくさん悩んで、考え、素晴らしいアイデアを出してきた人たちとは違う方向性を持った、新しい考えにたどり着く可能性を秘めています。
そうやって、新しい環境に適応した知識や技術を生み出してきたのです。

きっとクリストフは、先人の音楽をなぞるのではなく、まずバッハにひとつひとつ知識や経験を積み上げて、自分なりの良いと思う音楽を作って欲しかったのだと思います。

この話は、バッハに限った話ではありません。
例えば、日本では最近、マイケル・サンデルという先生の授業が大きな話題を呼びました。
この人は、「正しい行いとは何か?」ということについて授業をしました。
その授業の中でこの先生は、アリストテレスやベンサム、カントのような著名な哲学者が出した答えに、身近な例を用いて、教室の中にいる自分たちでたどりつくことはできないか、という「実験」をしました。

偉い人の考えをそのまま受け入れるのではなく、たとえ小さなことからでも、自分で考え、積み上げていくこと。
そうすることによって、今までにない、新しい道を拓くことができる可能性を信じること。
クリストフがバッハに言いたかったことが、また見直されつつあるのではないかと、私は思います。

まあなんか色々と
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