掃除の効用と今をしっかりと生きること

「コンバット」とゴキブリについて長々と書いたが、久しぶりなので飽き足らずにまだ書くことにする。

今日はKEKと大学の連携事業の”キックオフ・シンポジウム”が開かれた(その一環がサマーチャレンジなのですよ)。13:00から、それに出席。挨拶と素粒子・原子核の所だけ聞いて、抜けてきた。

家に帰って、久々に掃除した。窓を開けて、風を通し、たまっている洗濯物を片付けた。部屋の中を掃き、床を拭いた。隅にたまっていた埃を取り除いた。ゴミ・ビン・カンを分けて捨てた。(そしてもちろん「コンバット」をしかけた。)

そうこうするうちに、みるみる部屋がきれいになった。
そして、気づくと色々なことにやる気が出てきた。

どうも最近やる気が出なくて、色々中途半端だったのだ。
ブログも、まったく書く気がおこらなかった。
俗に言う「五月病」というやつかもしれない。

どうも、普段過ごす環境の”荒廃度”と心のそれとは、何かしら関係がある気がする。

そして、前々から、「掃除したいなぁ」と思っていたけれどもなんだかんだで後回しに成っていた。自分が「やりたいこと」をやったことが「五月病(?)」を抜け出せた理由のような気がする。

とか言って、明日また元に戻ったりして。

練習は1000×5だった。
タイムはおいておいても、本当に良い練習だった。
花井、えびちゃん、ありがとう。

良い練習ができた時、ほんの少しでも自分の限界に近づけた時、陸上って良いスポーツだな、と思う。

茂木 健一郎さんの「クオリア日記」に最近、
「あそこを超えたらホームラン」と決めた、ブランコの姿を見きわめること。」という記事が出ていた。

草野球が楽しかったのは、その世界が青天井だったからだろう。室内で、上にガラスの天井があると思っていたら、バットを全力で振り切ることなどできない。頬をなでる風も、ぼくを照らす太陽も、すべて、バットを振り切ることを応援してくれていた。

 大人になっても、本質は変わらない。バットを全力で振り切ること。何よりも、そのような行為が出来る、青天井の環境を求めること。

「その瞬間、バットを全力で振り切る」という感覚は、東京事変の「閃光少女」という歌の中にも込められているように思う。

今日現在(いま)を最高値で通過して行こうよ
明日まで電池を残す考えなんてないの
昨日の誤解で歪んだ焦点(ピント)は
新しく合わせて
切り取ってよ、一瞬の光を
写真機は要らないわ
五感を持ってお出で
私は今しか知らない
貴方の今に閃きたい

”今”の積み重ねが人の歴史を作る。私たちは、自分の残りの人生を、今、この瞬間から新しくスタートすることができる。写真機でその瞬間を切り取るのは、”その後”に振り返るためだ。そうではなくて、五感を使って、今を感じて、今を生ききること。

とても大切なメッセージを感じられるこの歌が、すごく好きです。

まあなんか色々と
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