twitterでできること

昨日(1/22)の朝だった。こんなtweetが目に入った。

@kenichiromogi: 誰か訳してください! @takeuchi_gr 茂木さんからの冷静な反応。ぜひ日本語でもお願いしたい。 RT BBC「QI事件」についての英文エッセイ。 @kenmogi We need sunshine, not the bomb: http://bit.ly/gxK9dL

オリジナルの茂木さんの文章をさっと読んで、「訳してみよう」と思った。
訳に間違いも有ったけれど、なるべく「こういうことが言いたくて書いたんじゃないかな」ということを想像して、それが読んだ人に伝われば良いなと思って書いた。
訳を、このブログに書いて、そのURLを茂木さんにtweetした。

すると、茂木さんがリツイートして下さり、沢山の人にこのブログを見ていただくことができた。
(平常は平均30アクセスのところ、昨日は1400アクセスあった。)

twitter上でコメントを下さる方やフォローして下さる方もいて、なるほどtwitterってすごいもんだな、と改めて思った。

今日は、昨日の出来事を通して考えた事を書きたいと思う。

まず最初に、茂木さんのこのエッセイに対する反応を、twitter上で見てみた。
エッセイに対して好意的なものが多かったが、中には批判する方もいらしゃった。
その方のtweetを読んでいて、しかし、なるほど、と思った。

もちろん、茂木さんのこのエッセイに共感する所があって訳を書いた訳だけれど、
例えば、実際に被爆された方、そのご子息の方、そしてそういう方に近しい方だったら、
あるいは自分がそのような環境にいたとしたら、自分も同じような意見を持ったかもしれない、と思った。

物理の確率分布のように、「多くの人はこういう意見をもつ」という”傾向”はあるけれども、
統計がしっかりある時の実験のように1σ、2σ、3σの外にも、傾向から外れた意見が存在するのだと思う。
そういう小さな声を、自由に発して、それを他の人が見る事ができるということ。

最近、テレビや新聞などの既存のメディアが批判される事が多いけれど、
既存のメディアのツールとしての役割は、ネット上に比べて劣っているというわけでは無いと思う。
どんなことにも、得意、不得意が有ると思う。

公の場で、フォロワーの

これと似たようなことを、坂本 龍一さんがNHKの「スコラ 音楽の学校」で話されていた。

#popuonというタグ上で、坂本 龍一さんを中心にWalter Benjaminの提唱する「アウラ」とは一体何か?という議論が交わされている。
それは、@yuuuuuiiiiiが発した、坂本龍一( @skmt09 )さんへのこんな質問から始まった。

yuuuuuiiiii: @skmt09 いきなりで、とても恐縮ですが、質問させていただきます。教授のライブ中継、とっても楽しく拝見しました。でも同時に、インターネットによって、芸術体験の身体性や一回性って減っていくのかな、と思うのです。そうすると、ベンヤミンの言うアウラってどうなっていくのでしょう…?

二人のやりとりを見ていた人も#popuonをつけて議論を始め、坂本さんが取り上げてコメントした意見に、周りの人もさらにコメントを付けると言う形で議論が進み、今もその議論は終わっていない。
(この議論は、
 アウラ・オーラ
 アウラ・オーラ二日目
にまとめられている。

まあなんか色々と
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