昨日、筑波大で行われた上杉 隆(@uesugitakashi )さんの講演会をお聞きしに行った。
筑波大2年生の船山さん(@fnysss )が企画されたそうで、UST中継、twitter連動など、
(UST中継にはTHKのみなさんの協力が有ったらしい。)
副題にある「魅せるニューメディア」を意識して工夫のなされた催しだった。
リアルタイムで会場内外の意見が見られるのは、面白いね。
講演が終わって船山さん(@fnysss )に
「どうやって上杉さんをお呼びしたんですか?」
とお聞きすると、
「オファーは講演会の時にたまたま話す機会があって、
その時に熱く語らせて頂きました!笑 直談判です!」
とのこと。(お返事&フォローありがとうございました!)
こういうの、いいですね。
やってる方も楽しそうだし、それに参加する人も楽しいって言うのは、
すごく良いことだと思います。
昨日の上杉さんのお話で心に残ったのは、NY times時代の支局長の言葉。
上杉さんは、NY timesに訂正記事が堂々と毎日掲載されることに驚いた。
こんなことで、NY timesは、国民の信頼を得られているのか、と支局長に聞いたことがあった。
すると支局長は上杉さんに言った。
大切なのは、間違えないことではなくて、間違えた時に素直に認めて、訂正することなんだよ、と。
このお話を聞いた時に、日本の新聞社のこともそうだと思うけど、まず、自分自身はどうだろうな、と思った。
「自分」という「メディア」は、このNY timesの崇高なプリンシプルの方向性を持っているだろうか。
自分の間違いに気づいた時、すぐにそれを認めて、訂正できているか?
それ以前に、自分が「間違える」のだということを自覚できているか?
間違いを恐れて、世間一般の意見を取り入れて、自分で考えることを放棄していないか?
最後にパネルディスカッションで荻野先生もおっしゃっていたけれど、
まず自分がメディアになってみることから始めてみたい、と思う。
その中で、「良い(or 悪い)メディアとは何か?」
という問いかけを持ち続けることから、始めるのが大事なのではないかと思う。
この講演会に関する意見を#uot_mediaで拝見していると、
「でも、我々はどうしたらいいんだろう」
という意見がちらほら有った。
これは全く私的な意見だけど、問題をマスコミに棚上げしないで、
自分のこととして捉えてみる所から始めたら良いのではないかと思う。
高校生の時、岩渕 大起さんの「まだ17歳だけど、人生って面白いと思う 」と言う本を
読んだことが有った。
その中に、
「周りを変えるよりも、自分が変わる方が早い、と気づいた」
というような一節が有った。
読んでいて、なるほど、と思った。
これは「自分を曲げる」ということとは違う。
人のことをどうこう言っている間に、それを参考にして自分が動けば、
問題は早く解決する、というのである。
「人の振り見て、我が振り直せ」だと思った。
この記事を読んで、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないんだよ、と
思われる方もいらっしゃると思う。
そういう意見も、もちろん有ると思う。
しかし、どんな問題も、どっちが悪くてどっちがいい、
というように簡単なものではない、と私は思う。
こうこう、こういう理由でAのここはいいけど、こっちは良くないよね、
というような論理を持たない言説に、説得力は無いと思う。
「Aが悪い!」と声を大にして信じてもらうというやり方は、むしろ
”アンチマスコミ”の方が言っている”マスコミ的な”態度であって、
それに批判するためには、まず自分からその態度を改めることが求められると思う。
すなわち、おい、お前ら、もっとましな報道しろよ、と他人事のように言うのではなく、
自分が「良いメディア」のお手本を示すところから始めなければならないのだと思っている。
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