ロバート・キャンベルさんのお話を伺う

先日、東京大学大学院教授の
ロバート・キャンベルさんのお話を伺う機会がありました。
別の所に書いたものだけど、ここにも載せておきます。
ご興味ある方、どうぞ。

開演までに時間があったので、前回同様売店へ。
I君にドーナツ(だっけ?)をご馳走になったりしつつ、帰って来たらもう良い時間になっていた。
局の方の紹介があって、ロバートさんが登壇される。
まず、ロバートさんが、紹介してもらった方に対して(もちろん日本人)
「日本語、うまいですね」
とおっしゃって笑いをとっていた。

白州次郎がアメリカ人に「君は英語がうまいね」と言われて、
「君も、もう少し練習すれば僕みたいに話せるようになるよ」
と言い返したという話を思い出して、やっぱりハーバードは違いますな!と勝手に一人で思っていた。

講演は、「KAGEROU」の話もふまえつつ(?)、江戸時代の飢饉のための心得書である「御代乃宝」(畑 銀鶏 はた・ぎんけい)と「豊年教種」(阿部 櫟齋 あべ・へきさい)の二書を例に挙げながら、江戸時代にジャーナリズムの一端を担っていた文学者についての話を軸に進められた。
後半では、ロバートさんの江戸古書に対する思い入れ、恩師に教えてもらった”古書研究の方法”についてもお話くださった。

取り上げられた、江戸の飢饉心得書には、非常食の蓄え方、飢饉への備えの呼びかけなどが記されている。こんなことも書いてある。

○ 飢えたる人に粥を施すにハ尤も恭しく謹みて与える。必々(かならず)、不遜(ぞんざい)にして人を恥ずかしむべからず。その人の窮するも全く天事の変によりて然らしむるなり。礼記にも「嗟(ああ)来たり、食らへ、といひけれバ餓えたる人、われハ嗟来(ぶれい)の食をくらハず」とて死せし説を乗せたり。此(かくの)ごとくなれバ施すにも不遜(ぞんざい)にてハ陰徳にハならず、却って徳をそこなふ也。

非常事態であっても、他人のことを考えて行動せよと”徳”について言及している。「明日は我が身」なんだから、と書いてある。
この部分の紹介に、心打たれた。

なぜかというと、それはロバートさんの説明を聞いていて感じたことだけれど、この作者が「具体的な情報」と同時に、「本当に伝えたいこと」があったのではないかと感じたからだ。

それは、「大変なことは、みんなで乗り越えようよ」という気持ちだと、僕は思った。
基本的にこのような心得本は、今で言う”自費出版”にて民衆に配られたそうである(施印というらしい)。
自分が知っている役に立つことを、皆に知らせたい一心でやっている。

大変な時だからこそ、みんなで協力したいよね、という心意気を感じる。
少なくとも、私はそれを皆さんにやりますよ、と。
身銭を切って、実際に行動している人がいるということ自体が、危急に際した人への、メッセージになっているように感じた。

文章はレジュメで配って頂いたが、ロバートさんは実際に江戸時代に配られた心得本を会場に持って来ておられた。
江戸に出版された本は、実は古書店などで安く売られているものも沢山あるそうで(数百円のものも…!)、ロバートさんは、そういうものを、とりあえず購入して、部屋に平積みにしておく。

それが、ロバートさんの「研究スタイル」だと言うのである。

ロバートさんは先生に「まだ活字になっていないものを、仕事にしなさい」と言われた。
誰かがまとめてしまったものを読むのではなく、まだ世間の光が当たってない書物を、とにかく買って来て、平積みにしておく。
時間があるうちに少しずつ読み進めていくと、そういう何の関連性も無いように思われる事物のなかに、”つながり”が見えてくる。

その”つながり”が、誰もやっていない研究に結びつく。

そういう世間の光が未だあたっていない古書は、「時代の窓」だ。
そう、ロバートさんはおっしゃっていた。

普段は振り向きもしないような、古本屋の叩き売りのかごの中に入っている、ほこりにまみれた古書の中に、その時代を垣間見せる何かが有る時がある。
時代は違っても、困難を乗り越えるために人々が立ち上がったことを現代に生きる僕たちに知らせてくれる。

そういう仕事に魅力を感じるし、埋もれているそういう仕事に光を当てて行きたいのだと、ロバートさんはおっしゃりたかったのだと思う。

先日大学でチューターをやっている留学生に会った時に、ふと、「どうして留学先として日本を選んだのか」という質問をしたことが有った。
すると彼は、”日本書紀”を読んで日本に興味を持ちました、素晴らしい本ですよね、と答えた。

「まだ読んだことないな。周りでも、読んだことがある人は少ないんじゃないかな」と言うと、カザフスタンからやって来た青年は、そうですか、と少し残念そうな顔をした。
僕はこのことがあって、何だか、なるほどと思って、手始めに世阿弥の「風姿花伝」を買って読んだみた。
半分も分からなかったが、大先輩が残したくれたものに、これからも少しずつ触れて行きたいと言う気持ちが大きくなった。

ロバートさんの出身校であるハーバードの学生が、「学問は、恋愛をするのと同じように楽しい」とインタビューに答えていた。
ロバートさんも、生き生きとして、本当に楽しそうに日本文学について語っていた。
そういうロバートさんの姿が、江戸文学と同じく、「形式知」と同時に”学ぶことは楽しいよ”という「暗黙知」を伝えていたと思う。

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