「問題はできるかできないかではない。
やるか、やらないかだ。」
と、村上 龍が「13歳のハローワーク」で言っている。
「昨日より今日、今日より明日」という言葉もあるし、
S研ゼミはCMで「やれば、上がる」とか言っている。
確かにそうなのかもしれないなぁ、と思うけど、
問題は「どうすればやる気になるのか」という事だ。
「やった方が良いのは分かってるけど、どうにもやる気にならない」
ということはよくあるように思う。
けれども、このときの「やった方が良いのは分かる」と言っているのは、
「周りの人がやった方が良いと言うから」とか
「一般的にやるのが普通だから」というレベルのものが多い気がする。
つまり、”借り物の理由”はやっぱり少し弱い気がする。
少し前の話だが、陸上の後輩の女の子に聞いた事がある。
あなたは、いつも驚くくらい自分を追い込めているように見えるけれど、どうしてそういうことが可能なのか?
その子は答えた。
「わたしは、他の人に比べたら練習の頻度は少ないかもしれないんだけど、
やる時はタイムとか関係なく、追い込むんです。
なんで追い込めるか、はよくわからないけど…
私は、陸上というスポーツは自分に合ってるんだなぁって思う時がありますよ。
なんでか分からないけど、追い込める時があるから。」
僕はこれを聞いた時に素直に感動してしまった。
すごいなぁ、と思った。
強い、と思った。
まず、「なぜ追い込めるのか」という問いに対して、本人もよくわかっていないという事である。
多分、それは言葉とかではなくて感覚に近いものなんだと思う。
たとえば「なぜ勉強をするのか」という問いに対して
「受験勉強に受かるため」とか
「より良く生きるため」とか、
反射的にきっちり「言葉」で理由が返せるのは、ある意味アブナいことのように思う。
「苦しくても、嫌になりそうでも、でもなぜだか続けてしまう」レベルのモチベーションは、
到底、簡単な言葉では説明できない大きさなのではないかと思う。
長距離走をやっている人たちを見ても、
なぜこんな苦しい事をやっているのか?
という問いに対しては
「Mだから」
「惰性で」
とか、なんとなく笑いにしてお茶を濁す事が多いと思う。
これぞ、”無記”ではないかな。
多分それぞれ、理由はあると思うけれど、自分でもうまく言葉で説明できないのではないかと思う。
受験とか、練習とか、就活とか、そういう”目先のこと”のモチベーションはどこから来るのであろうか。
僕にはまだよくわからないが、個人的に「すごいなぁ」と思う人の多くは、
このモチベーションが、”最小構成要素”であるということである。
それ以上分割できない。
そのモチベーションの理由を、自分でもうまく説明できない。
プリンシプル。
それは、言葉にすらできなくて、「考えるな、感じろ」ということかもしれない。
コメント
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そうかあ、第一原理としての「やる気」なんですね。なるほど!
what a beautiful essay… Like
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大学で学んだ、数少ないことの一つを書いてみました。
後輩との会話をブログに書いておきたかったということもあるな。
なぜブログを書くのか?(やたら時間をかけて)
やっぱりうまく説明できない事もあるけど、こうやってコメントもらえるのが嬉しいってのはあるよね。ありがとう。 Like