こんにちは。研修が始まって、新宿に泊まってます。
まさか自分の人生の中で、新宿に住む期間が有るとは想像もしなかったですね。
それにしても、環境が変わっても、面白い人に事欠かない、ということは、
数少ない僕の自慢できる所だと思う。
今日もはっしーの「佐賀トーク」で爆笑@タリーズし、
27班+いぬいさん、まぎーと楽しい夕食@本日2度目のサイゼリヤであった。
(そして、今日は3回も皿が割れる所を目撃した。)
1日は、俗にいう入社式だった。
偉い方のお話を聞く。
朝からずっと座りっぱなしでありがたいお話を聞いた結果、
…疲れた。
最後に、放送作家の鈴木おさむさんがお話下さる。
このお話に、とても感動する。
まず、鈴木さんの話し方がとてもうまい。
ほんとうにやられたと思った。
話の構成とか、選び方とかもそうなんだけれど、
それより何より、「軽い語り口」と「深い内容」である。
このブログでも何度か述べて来たけれども、
「一見相反する二つの性質」を持っている人や組織は強い。
鈴木さんのお話の中でも特に心打たれたのが、
あるお昼の有名バラエティ番組のディレクターさんのお話。
鈴木さんは、そのディクレターの方にある日聞かれる。
妻が余命一年と宣告された。
仕事を続けるべきか、妻の側に付き添ってあげるべきか、迷っている。
お前は、どうすれば良いと思う?
当時は若かったから、と前置きして鈴木さんはその時の答えを話してくださった
。
何行ってるんですか、この仕事は、あなたにしかできないんだから、
続けなくちゃダメですよ、
ということだった。
そのディクレターさんは、そうか、考えてみるよ、と言って、その場を去り、
一週間の後、「仕事を続ける」と発表した。
今仕事をやめたら、余命のことを告げいていない妻にそれを
悟らせる事になる。
今の自分にできることは、面白い番組を作って、できるかぎり
彼女を笑わせることなんだ、と。
そしてある日、鈴木さんはそのディレクターさんに病院に呼ばれる。
はずせないミーティングがある日だったが、
「少し妻の具合が悪くてね」
ということだった。
鈴木さんと、そのディクレターさんは、病院の談話室でネタの打ち合わせをした。
一時間、ディレクターさんは鈴木さんの話を聞きながら、ゲラゲラ笑って、
そしてOKを出した。
帰り際、彼は鈴木さんに、妻に会って行ってくれないかと言った。
病室のドアを開けた鈴木さんは驚いた。
奥さんのベッドの周りにはお医者さんや看護士さんがたむろしていて、
まさにいつその時が来てもおかしくないことを予感させる状態だったからだ。
鈴木さんは、その時、ディクレターさんにとって、
「仕事を続ける」という決断がいかに辛い物だったのかを悟ったという。
それは、死に行く妻が寝ている部屋の隣で、
一時間ゲラゲラ笑いながら、真剣に人を笑わせるために打ち合わせをする、
ということなのだ。
そのバラエティー番組の司会を努める、ある司会者さんは、
奥さんが亡くなると、誰よりも先に病室に来て、
そのディレクターさんを抱きしめた。
そして、一言、
「頼みます。バラエティーを、これからも続けて下さい。」
鈴木さんが伝えようとした事は2種類有る、と僕は思う。
この仕事のやりがい、「自分にしかできないこと」をやることの大切さと魅力だ。
そして、もう一つ、「自分にしかできないこと」があるということは、
「逃げられない」ということだということだ。
その覚悟が試される場面が、きっと仕事をしていればいつかは来るのだと思う。
若造が何を言うか、と言われる方が有るかもしれない。
そして、それはきっと正しい。
けれども、これまでの短い人生の中で少しずつ思って来たのは、
「すべては選べない」ということだ。
すべては選べない。
例えば、このブログにしても、4月に入ってからの事をすべて書く事は出来ない。
きっと、僕と全く行動を同じくする人がいたとしても、
書く人によって「何を選んで書くか」は違って来ると思う。
その限られた「選んだもの」がその人を作る。
それはとても素晴らしいものだと思う反面、
どうしようもなく残酷なことのようにも思える。
修士論文提出間際の夜に、おばあちゃんから電話がかかってきた。
コートを着て、外でおばあちゃんと話した。
おばあちゃんは言った。
「私のおばあさんはいつも言ってたよ。
”死に病と金稼ぎ”ってな。
お金を稼ぐって言う事は、本当に大変なことやからな。」
鈴木さんのお話を聞いて、この言葉を思い出した。
背筋が伸びる気がしたし、何より、この人たちのような気持ちで
真剣に仕事に向かい合いたいと思った。
明日から、研修二日目です。
とりあえず、ちゃんと起きないと。
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